2016年にコリン・キャパニックが始めた抗議運動を、当のNFLはどのように捉えたのか。
カロライナ・パンサーズのオーナーJerry Richardson氏は、「政治的な運動は、アメリカンフットボールの素晴らしさからファンの関心を逸らしてしまう」と主張する。
同様に、デンバー・ブロンコスのJohn Elway氏は「もう少しアメリカンフットボールそのものに集中していきたいね。政治的な要素を排除して」と話す。
しかしここで重要なのは、ここで指摘される「政治的なもの」というのはキャパニックの抗議行動に限らない、という点である。実は以前から、NFLのチームからは同様の意見が上がっていた。
近年、NFLは選手や元選手の犯罪によって、そのイメージを傷つけられてきた。たとえば、2012年から2014年までの2年間に30名以上のNFL選手が、家庭内暴力、強盗、殺人などの罪で逮捕されている。
NFLはリーグのイメージ回復のために様々なキャンペーンを行ってきた。たとえば「NO MORE」というキャンペーンでは、NFL選手がカメラに向かって家庭内暴力撲滅を訴える。
しかし多くのNFLチームは、こういったキャンペーンに懐疑的であった。曰く、リーグが展開するキャンペーンはすでに司法によって裁かれた選手に対する更なる社会的制裁を助長しているというのである。
NFLは、社会的なメッセージを前面に出すのではなく、アメリカンフットボールというエンターテインメントを提供することに集中すべきである。これが多くのオーナーの見解であった。
前々回紹介したレブロン・ジェームスの「私たちはただ黙ってバスケットボールだけしているわけにはいかない」というメッセージ。それとは対照的な「なるべく社会的な要素は省いて、アメリカンフットボールというスポーツに集中しよう」というNFLチームのオーナーたちの意見。
さて、アスリートは社会の中でどのような役割を担うべきなのでしょう。
参考文献:
https://www.sportsbusinessdaily.com/Journal/Issues/2017/10/02/Leagues-and-Governing-Bodies/Unity-NFL.aspx
https://www.si.com/nfl/2014/09/11/nfl-players-arrested-domestic-violence-assault